どうなることかと自動車産業全体がかたずをのんで見守っていた、とソル・サンダーズはそのホンダの歴史を著わした本のなかで書いています。
数か月のうちに結論が出ました。
価格の変化による需要の弾力性は意外に高いことがわかりました。
日産(ダットサン)とトヨタの売上げは40パーセント低下しましたが、一方ホンダの売上げは前年より76パーセント上昇し、増加はその後十年近くもつづいたそうです。
ホンダのこの価格設定方針は、公害発生が最も少なく燃料の節約が最も大きいという業界最高の技術と結びついて、新しい自動車業界の巨人、ヘンリー・フォードの衣鉢を継ぐ者を初めて生み出したのです。
しかし、この場合、本田自身の役割は主に精神的なものでした。
彼は積極的にその方針を認めたと報じられてはいたが、決定を下したのは新社長河島喜好だったのです。